2016年度学術大会(終了)
ケアの法 ケアからの法

日 程:2016年11月12日(土)・13日(日)
場 所:立教大学池袋キャンパス

統一テーマ「ケアの法 ケアからの法」

服部高宏(京都大学)

「ケア」を、他者の個人的・具体的なニーズに応える行為や関係の在り方と捉えるならば、高齢者や障害者に対するケアや、患者に対するケア、子どもに対するケアなど、ケアは人間社会における重要な人の営為または人間関係の在り方であるとされてきた。主として個人間の自発的な行為や人間関係において担われてきたケアは、今日では社会的な問題として捉えられ、法がその課題とする重要な対象事項の一つともなっている。本企画は、ケアは法によってどのようにして捕捉され、制度化されうるか(さらにはどこに法の限界があるか)(「ケアの法」)という点と併せ、ケアの側からみたときに法はどのように捉えなおされるか(「ケアからの法」)という点をテーマとして取り上げようとするものである。
ここで言うケアという人の営為または人間関係の特徴については、とりわけ正義の思考との関係において、「ケアの倫理」をめぐる議論が明らかにしてきたところである。実際の臨床の場におけるその実践的意義の側面も含め、様々な学問分野において注目を集めてきたこの「ケアの倫理」に関する議論は、世話・介護・配慮などと多様に訳されてきた「ケア」という行為または人間関係の在り方に、個人的性向や個別的技法や超えた何らかの倫理的意味を見出そうとするものであり、正義の思考との対比でケアのアプローチには、次のような特徴が指摘されてきた。
(1)道徳への接近方法の違い――正義は、一般化された他者を想定し、距離を採りつつ、原理や規則に基づく普遍的で公正な道徳的(―に正しい―)判断を求める抽象的アプローチを採る。これに対し、ケアは、具体的な他者との特殊な関係において、個別・具体的状況の中での自然な感情に基づく倫理的(―に善い―)判断を重視する文脈的アプローチを採る。
(2)自己(self)についての考え方の違い――正義は、人の別個性(separateness)に照準を合わせ、自律的な人格であり、かつ自由な意思主体としての自己とその選択を重視し、そのため、他者に対する義務づけは、何らかの意味での本人の同意を必要とすると考える。それに対し、ケアは、人のつながり(connectedness)を基礎に自己概念を捉え直し、傷つきやすい(vulnerable)他者に対する特別の義務・責任を、選択の対象ではなく、むしろ承認されるべき出発点として想定する(ニーズ、それに対する傾聴)。
(3)何に優先性を見出すかという点での違い――正義は、平等を優先し、付加的な実質的基準の内容でその運用は異なるが、「等しきものは等しく、等しからざるものは等しからざるように扱う」を旨に画一的な対応を求める。それに対し、ケアは、他者との関係のネットワークの維持や、自分が関係する他者のニーズに応答することに行為の優先性を見出す。
本企画は、以上のような、正義と対照されるケアの倫理的・価値的側面をも念頭に置きつつ、子ども・高齢者・障害者等のvulnerableな――このような形容自体も議論の対象となりうるが――人々の“自立支援”、意思決定支援や教育・保護等にかかわる現実の具体的な諸問題をさまざまな角度から取り上げ、ケアという課題を適切に捕捉するための、法を含めた規範的枠組みの在り方について検討を加えるとともに、ケアへの深い理解から照らし出される社会や制度の構造の問題点について論じようとするものである。
本企画は、4人による報告と各々への4人によるコメントからなる。企画担当者の視点から全体の概要を説明するなら、まず、第1報告である池田報告は、ケアを倫理から制度へと展開していく中で、上にみたようなケアと正義の“対立”を社会制度のレベルで統合しようという試みである。ケア労働の公正な分担の問題に苦慮する今日の社会にあって、あえてケアの価値を考察の照準を合わせ、ケアへの敬意を育み、ケアすることに正しく配慮できる社会を構想しようというのがそのねらいである。これに対し、政治学や哲学等におけるケア労働やケア倫理をめぐるこれまでの議論の蓄積を踏まえ、小田川コメントがどのように応じるかが期待される。次いで、第2報告として、子どものケアをテーマとする大江報告は、未成熟性と変容性という子どもの特徴から子どもケアの性質・内容を解き明かし、その質の保障のために社会的・公共的資源を投入すべきだと説く。その議論は、教育技法論・ケア倫理・法理論との関連で展開されるが、とりわけ報告者が年来関心をもってきた子どもの権利論において、ケアがどのように位置づけられるかが注目されよう。これに対し、吉岡コメントは、現行法の子ども観を批判的に検討する一方、われわれはみな「ケアされる」存在であるという、連帯性の梃子にもなりうる一種の共感的理解の意義を指摘したうえで、こうした共感的理解にとって子どものケアがもつアンビバレントな意義を指摘する。第3報告である佐藤報告は、従来の成年後見制度等の背後にあった「能力不存在推定に基づく代行決定型権利擁護」を斥ける一方、意思決定支援において大事なのは個人をありのままに尊重することであり、相互依存の関係性の中で生きることによる善き生の実現であることを確認する。そのうえで、意思決定支援にとって何が重要な実践知であるかを指摘し、「自己決定の尊重」「生活利益の確保」「エンパワーメント」の3つのバランス感覚をもった権利擁護のセンスが必要であると説く。これに対し、井上コメントは、ケアの現場での様々な問題の検討に加え、ケアを社会理論の基礎概念として検討することも重要であると指摘し、vulnerableという概念にも精査を加えながら、佐藤報告の問題提起を踏まえ、意思決定支援の内実や福祉職と法律職の協働の可能性と課題に言及する。第4報告である河見報告は、制限された自立の補完という見方に代え、当人にとって必要な誰かが「共にいる」ということこそケアの基盤であり、関係形成としてのケアこそが重要であると説く。そして、そうした在り方のケアを支える法制度は、関係の時空の確保を第一義とし、個別具体的対応を現場の判断に委ねる方式において実現されるとみて、それが自立支援のケアにも変容をもたらすと見る。これに対し、堤コメントは、かつて厚生労働省で介護保険をはじめ数々の社会的なケア保障制度の制度設計・運用に関与した経験から、介護保険の基本構造を普遍妥当性を求める正義の道徳を基本としつつもそこにケアの倫理を仕組むことを課題とするものと捉え、かかるケアの倫理の仕組み方として、準市場におけるサービス購入費用の支給やケアの個別性・多様性への対応を検討する。
以上のようなケアへの多様なアプローチを通じて、法によってケアがどのように把握されるべきなのか、またケアへの配慮が法にどのような変容をもたらすかについて考えていきたい。

11月12日(大会1日目)
[午前の部]
〈個別テーマ報告〉
  《A分科会》丸祐一・戸田聡一郎
  《B分科会》中野万葉子・望月由紀

〈ワークショップ〉
  《Aワークショップ》
    「人工知能(AI)/ロボットと法」
      (開催責任者・小林史明(日本学術振興会特別研究員PD))
  《Bワークショップ》
    「高齢化社会と世代間正義」 
      (開催責任者・吉良貴之(宇都宮共和大学))

[午後の部]
  《Cワークショップ》
    「統治行為論をめぐる法と政治」
      (開催責任者・布川玲子(元山梨学院大学))
  《Dワークショップ》
    「リスク社会における自由と協働の秩序」
      (開催責任者・野崎亜紀子(京都薬科大学))
  《Eワークショップ》
    「ラートブルフと現代の理念主義法哲学」
      (開催責任者・篠原敏雄(国士舘大学))

〈総会〉
[懇親会]

11月13日(大会2日目)
〈統一テーマ報告〉
服部高宏(京都大学)
  「ケアの法 ケアからの法」
池田弘乃(山形大学)
  「ケアへの敬意:倫理から制度へ」
小田川大典(岡山大学)
  「池田報告へのコメント」
大江洋(岡山大学)
  「子どもとケア」
吉岡剛彦(佐賀大学)
  「〈子ども〉とはいかなる存在か?――大江報告へのコメント」
佐藤彰一(国学院大学)
  「「意思決定支援」は可能か?」
井上匡子(神奈川大学)
  「社会構想の基礎概念としての“ケア”のために――佐藤報告へのコメント」
河見誠(青山学院女子短期大学)
  「ケアの重層構造と法-介護保険とホスピスから考える」
堤修三(長崎県立大学)
  「介護保険におけるリベラリズムの正義とケアの倫理――河見報告へのコメント」
シンポジウム「ケアの法 ケアからの法」
  司会 服部高宏(京都大学)・若松良樹(学習院大学)

聴講をご希望の方へ

学術大会は会員以外の方でも聴講していただけます。

事前の申し込みは必要なく、大会当日に会場受付にて申込みの上、聴講料1,000円(両日分)を納めていただきます。なお、学会開催案内(報告要旨集を含む)の配布は会員に限定されておりますので、当ホームページに掲載される報告要旨を、前もってご参照ください。

ページの先頭へ