2004年度学術大会(終了)
リバタリアニズムと法理論

日 程:2004年11月13日(土)・14日(日)
場 所:広島大学法科大学院 (東千田キャンパス)

統一テーマ「リバタリアニズムと法理論」について

森村  進(一橋大学)

 自由の概念は法哲学の中でも中心的な概念の一つだが、これまで日本法哲学会学術大会では、市場、所有、法秩序、権利といった他のテーマとの関係で論じられてはきたものの、正面から統一テーマとして取り上げられてはこなかった。

 自由という概念の内容については、意志の自由(哲学的自由)と区別された社会的な意味での自由に限っても、B・コンスタンの「古代人の自由」と「近代人の自由」の区別、I・バーリンの「消極的自由」と「積極的自由」の区別をはじめ多くの議論がある。また自由の意義・目的や価値に関しても多様な、しばしば対立する見解がある。この大会ではこれらの問題を整理して見取り図を与えることもしたいが、それ以上に、グローバリゼーションと地方分権化、個人の自立と社会連帯が同時に語られる現代にあって、特に法学の領域で、いかなる形の自由がいかなる意味で要求されているか・いないかを考えたい。

 その際、問題を関連づけ、具体的に考えるために、できれば自由(主義)一般について論ずるよりも、古典的自由主義の現代版とも純粋化された自由主義とも言えるリバタリアニズム(自由原理主義・完全自由主義・自由至上主義などの訳語もある)の見解を、原理面と実践的政策面で検討するという方法を取ることにする。

 リバタリアニズムは福祉国家リベラリズムあるいは社会民主主義(これらが最近のジャーナリスティックな意味でのリベラリズム)を批判するだけでなく、リベラリズムに対する選択肢として近年力を持ってきたコミュニタリアニズムとも基本的に対立するからである。

 日本の学界ではリバタリアニズムは、経済学の領域である程度影響力を持っているものの、その論拠はもっぱら経済学的な効率性だけに求められているし、リバタリアンを自称する論者も少ない。また政治哲学や倫理学や社会思想の領域でも、リバタリアニズムは本格的に論じられないまま否定的に語られることが多いようである。特に、リバタリアニズムの著作としてせいぜいノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』とハイエクのいくつかの書物くらいしか読まれていない(M・フリードマンの古典的な『資本主義と自由』の訳書さえ現在入手できない)ために、リバタリアニズムの多様性と豊かさは過小評価されている。しかし例外的に、法哲学界にはリバタリアニズムに理解を持つ研究者が少なくない。本大会ではそのような研究者とリバタリアニズムへの批判者の中から、9 人の報告者とコメンテイターが発表を行う。本大会が日本ではまだ十分知られていないリバタリアニズムの理解と研究に資するところがあれば、企画担当者の意図は達成されたことになる。

 このような企画の趣旨から、報告者・コメンテイターの方々には、リバタリアニズムへの自分の評価を明確に述べてもらうようお願いした。

 報告は、一日目に原論的テーマ、そして二日目に法制度にかかわる個別具体的なテーマを取り扱い、それぞれのセッションの最後にコメンテイターを一人ずつつけるという形式にした。もっとも原論的テーマと具体的なテーマの境界は極めて曖昧で、相互に言及しあうところもある。

 第一日目は、最初に森村が企画趣旨説明と各報告の簡単な紹介を行った後、自分自身の報告を行う。森村報告はリバタリアニズムの諸類型を概観してから、リバタリアニズムの基本にある発想として、人間像や自由や分配的正義に関する見方を述べることになろう。橋本努会員(北海道大学)の報告は、ハイエクに発想を得た「自生化主義」あるいは「成長論的自由主義」という独特の立場から、ノージックやロスバードや森村の自然権的リバタリアニズムを批判し、それにかえてあるタイプの積極的自由を擁護する。鳥澤円会員(広島市立大学)の報告は、リバタリアンは共同体や随意的集団への帰属をいかに評価するか(それを高く評価すると、リバタリアンの「自由」は看板倒れにならないか?)という問題を、最近の社会規範論の成果を利用して論ずる。

 ここまでの三つの報告がそれぞれ違いはあるがリバタリアニズムに親和的であるのに対して、「自由の平等」という理念からリバタリアニズム、特にジョン・ロック的な所有論への原理的批判を行うのが立岩真也氏(立命館大学)の報告である。なお立岩氏の平等主義は人類全体を分配の範囲とするグローバルなもので、国家や共同体の内部にとどまる多くの平等主義よりも徹底したものである。

 第一日目の最後は嶋津格会員(千葉大学)によるコメントで締められる。嶋津会員はリバタリアンな自由だけではたして社会が成立・存続できるかという問題を取り上げると思われる。>

 第二日目は、リバタリアニズムの法理論に関する橋本祐子会員(神戸大学COE 研究員)の報告から始まる。これはこの日の報告の中では総論的な位置を占めるもので、R・エプステインやR・バーネットに代表されるリバタリアニズムの法理論を好意的に紹介する。中でも「知識の分散」や刑罰制度の損害賠償への解消といったテーマが論じられる。

 橋本祐子報告ではほとんど論じられなかった憲法の領域を取り上げるのが愛敬浩二会員(名古屋大学)の報告である。愛敬報告は日本の憲法学にとってリバタリアニズムがいかなるインパクトを持ちうるのかを、経済的自由に関する議論などを中心に検討する。民主政の規範理論という政治哲学的問題にも言及される。

 山田八千子会員(中央大学)の報告は、民法、特に契約法理論におけるリバタリアニズムの自由論を取り上げるものである。その際、市場(過程)と「私的権力」についてのリバタリアンの考え方が検討される。愛敬報告と山田報告は共に、日本でリバタリアニズムが受け入れられていない状況にも触れるはずである。

 最後の浅野有紀会員(近畿大学)のコメントは、リバタリアンの契約理論を批判的に論ずると共に、ハーバーマスの公共圏論とリバタリアニズムの社会観を比較するものになるようである。

 二日目の後半は、フロアからの質問への応答も含めて活発な討論を期待したい。なお報告やコメントが言いっぱなしで終わらずに相互の議論をかみあわせるために、報告者・コメンテイターにできれば取り上げてもらいたいトピックとして、前もって次のものをあげておいた。以下の報告要旨にはこの要望が反映されている。

  • リバタリアニズムはいかなる人間像を想定しているのか? あるいはそもそも特定の人間像を想定していないのか?
  • リバタリアニズムは「私的な権力」についてどう考えるか? 共同体をどう位置づけるか?
  • リバタリアンの自由観はどのようなものか?
  • 公私二元論
  • リバタリアニズムの実現可能性、また実現のための条件
  • ハイエクの自由論・自生的秩序論

1.1 第1日午前の部 <個別テーマ報告>

A分科会
野崎亜紀子(広島市立大学)
     「関係性の権利を考えるために——プライバシー権の視点から——」
若林 翼 (アウグスブルク大学客員研究員)
     「法と主体の可能性」
伊藤 泰 (早稲田大学博士課程)
     「現代正義論の文脈における正と善の関係に関する検討」
松沢俊樹(早稲田大学博士課程)
     「J・ロールズ国際正義論の批判的検討」
B分科会
土井崇弘(京都大学COE研究員)
     「啓蒙主義的合理主義批判の二つのかたち
       ——ハイエクの「行為ルールとしての伝統」とマッキンタイアの「知的探求の伝統」——」
木塚正也
     「立憲主義と西欧中世」
佐藤 憲一(千葉工業大学)
     「法の不確定性を論じる意味」
谷口 功一(日本学術振興会特別研究員)
     「立法に関する一考察——平成十五年法律第百十一号を素材として——」

1.2 第1日午後の部 <統一テーマ報告>

森村 進(一橋大学)
     「統一テーマ「リバタリアニズムと法理論」について」
     「リバタリアニズムの意義と課題」
橋本 努(北海道大学)
     「リバタリアニズム論」
鳥澤 円(広島市立大学)
     「社会規範を守る「自由」?——リバタリアニズムと共同体——」
立岩真也(立命館大学)
     「自由はリバタリアニズムを支持しない」
嶋津 格(千葉大学)
     「コメント」
第1 日目報告に関する質疑と討論

1.3 第2日午前の部 <統一テーマ報告>

橋本祐子(神戸大学COE 研究員)
     「リバタリアニズムの法理論」
愛敬浩二(名古屋大学)
     「憲法学はなぜリバタリアニズムをシリアスに受け止めないのか?」
山田八千子(中央大学)
     「私法におけるリバタリアニズムの「自由」の構造」
浅野有紀(近畿大学)
     「コメント「リバタリアンと交換的正義」」

1.4 第2日午後の部 <総会およびシンポジウム>

IVR 日本支部総会
日本法哲学会総会
シンポジウム「リバタリアニズムと法理論」をめぐって
    総合司会  桜井 徹(神戸大学)・関 良徳(信州大学)
閉会の辞 日本法哲学会理事長 竹下賢

聴講をご希望の方へ

学術大会は会員以外の方でも聴講していただけます。

事前の申し込みは必要なく、大会当日に会場受付にて申込みの上、聴講料1,000円(両日分)を納めていただきます。なお、学会開催案内(報告要旨集を含む)の配布は会員に限定されておりますので、当ホームページに掲載される報告要旨を、前もってご参照ください。

ページの先頭へ