2003年度学術大会(終了)
ジェンダー、セクシュアリティと法

日 程:2003年11月21日(土)・22日(日)
場 所:法政大学 (市ヶ谷キャンパス)

統一テーマ『ジェンダー、セクシュアリティと法』について

住吉 雅美(青山学院大学)

 1960年代中頃に、「第2波フェミニズム」の思潮が登場して久しい。「第2波フェミニズム」とは、政治から個人関係まで様々な分野に浸透している女性差別を告発すると共に、ジェンダー概念に基づいて設定された性別役割分業を、社会のあらゆる側面において否定しようとするものである。ジェンダーとは、英語圏のフェミニストによって広められた概念であり、男と女はどのように違うのか、どのように区別されて扱われるのか、どのような異なった振る舞い方をするのか、ということを、歴史的、社会的、文化的に形成されてきた違いにすぎないと捉えるときの男性/女性の差異のあり方である。

 いまや日本でも、男女共同参画社会基本法が成立したり、雇用機会均等法の改正が強化されるなど、表面的には政府や自治体、企業も「第2 波フェミニズム」の考えを受け入れ、女性問題への取り組みを進めたかのようにみえる。またその動きにつれて、「フェミニズム」という言葉を陳腐なものに感じる向きも少なくなかろう。しかし実を言えば、日本社会の多くの側面は、男女平等に向けてそれほど変化を遂げていないのである。

 「ジェンダーからの解放」に対する政府や論壇の抵抗もまだまだ根強い。「フェミニズム」の思想が日本の男女問わず多数の人々になかなか浸透せず、意識や社会の基本構造の変化を容易に引き起こしえない背景には、もちろん日本独特の伝統や倫理観の根強さもあるだろうが、より根本的かつ普遍的な原因があると考えられる。それは、一見中立的な学問と見られてきた法律学や近代社会理論、哲学などの知の内容や、それらにおける知識生産の方法論などが、実は「家長としての男性」の意識や経験の理論化に基づいて作られてきたことが、いまだにしっかりと自覚されておらず、したがって十分な批判的再検討を経ていないということである。このような問題点を抱えているという点では、法哲学という分野でさえ例外ではない。

 近年では、フェミニズムの側から、法哲学の主要テーマである正義論や権利論に対する厳しい批判が展開されている。たとえば、従来の正義論は、物質的な財(資源、収入、富)と非物質的な財(権力、機会、自尊心)とを分配の対象にしてきたが、そもそも、それらの財の分配パターンを規定する社会構造や制度的脈絡自体にジェンダー・バイアスが潜んでいる、との指摘がある。また権利の概念についても、それは、自己が管轄しうる領域を指定し、他からの介入を排除する意味を帯びざるを得ず、こうした領域をきちんと統括できる者のみを自律的・自立的存在として尊重するにすぎない、かくしてそれは、壮健で経済的自立性のある「家長としての男性」向けの概念にすぎないのではないか、と疑問提起されている。さらには、世界を、そのような普遍的権利や正義という《男性の論理》に媒介された自律的個人の集合として捉えようとする法哲学的主張に対し、世界を「コミュニケーション」と「関係性」とで形作られた親密圏とみたうえで、女性の《もうひとつの声》たる「ケアの倫理」によるその再構成を展望する議論が提起され、波紋を広げている。フェミニズムから伝統的法哲学へ向けられているこのような挑戦に、法哲学の側からも真摯な応答をする必要性が生じている。本大会の第一の狙いはこの点にある。

 また、現状を見渡しても、「有償労働」と「無償労働(=育児・家事)」の負担割合や、企業・職場の雇用・待遇・昇進などにおいて、相変わらず男女の階層化されたジェンダー構造に基づく不均衡が維持されている。しかるにそのような状況に対し、伝統的な法律学は不均衡是正のための効果的な機能を果たしえていない。それは、一見《ジェンダーに中立》の外観を示しながら、じつは個別的正義の実現に無関心であった伝統的法律学そして法実践の限界のゆえであろう。そこで本大会では、フェミニズムの視点から伝統的法律学・法理論の諸原則や基礎構造を再検討する試みも行われる。

 だが本大会では、フェミニズムの側からの批判や議論によって法学自身が再検討を迫られるだけに終わるわけではない。第二のテーマとして、逆に、法哲学ないし法学の側からは、フェミニズムからの批判に応えるだけでなくそれらを包容する度量と知的蓄積が積極的に提示される。たとえば正義、権利、公共性といった概念を緻密かつ的確に理解することにより、フェミニズムからの批判に耐えうるようリベラリズムを再編することも可能であるし、さらにはフェミニズムの視角自体が陥っている隘路やそれが内包する危険性を制御することも可能であるという議論も展開される。

 また、第三のテーマとして、ポスト構造主義、ポストモダン哲学に触発されることにより、フェミニズムの議論空間の周縁部から生じたフェミニズムの内部批判や、そこから芽吹いた新たな研究動向、フェミニズムの自己改革の潮流の行き先を探ることも、本大会での関心事である。フェミニズムは確かにジェンダーとして構築された社会的意味の非対称性を暴き、その是正のために腐心しているのだが、この先何をめざすのかということが問題となる。男女に二極化されたジェンダー構造を前提としたうえで、その両者を実質的に平等にすればフェミニズムの使命は終わりとなるのか。かりにそうであるとした場合、人々は必ず男女に振り分けられるということの自明性そのものは疑われず、性的自認や性的指向、身体的性などに基づき男女いずれにも属しえない人々は異常視され続けることになる。フェミニズムはそれを許すのだろうか。

 二極化されたジェンダー概念への疑問提起は、ひとつには1981 年に学問領域として自立を示したレズビアン/ゲイ研究からなされた。この研究は、もともとフェミニズム研究の空間の中で周縁的立場にあったレズビアンや、社会の中で病理とみなされ差別されていたゲイ男性らが、これまで自然視されてきた異性愛システムこそが自分たちをマイノリティとして囲い込む原因であったことを見抜き、近代の性規範の所産として異性愛主義がいかにして社会的ヘゲモニーを獲得しそれを日々再生産しているのか、そのメカニズムを解明しようとするものである。

 異性愛システムの考察においては、19 世紀初頭より使われているセクシュアリティ(性実践・性欲望・性自認を含むエロスの《私的なもの》として社会的に与えられた意味づけ)という概念が重要な役割を果たす。本来セクシュアリティは人それぞれ、多種多様であってよいはずなのだが、近代社会にあっては「家庭」における次代再生産に関わる性実践と快楽、男性の「家庭外」でのエロス(異性との浮気、風俗産業利用)というセクシュアリティだけが《公認》され、それ以外のものには程度の差こそあれ《異常》の烙印がおされてきた。これは、セクシュアリティでさえ歴史的・社会的に構築されるを免れず、ジェンダー構造と異性愛システムに浸食されるということを物語っている。

 その一方で、フーコーのセクシュアリティ研究や、デリダ、ドゥルーズなど脱構築や差異の哲学の影響下に、ジェンダー二極構造を相対化、あるいは解体するフェミニズムも現れている。これらの方法論は、ジェンダーの権力関係を二元性から解放し、それが実は多様な人々の多様な視点によって織りなされる複雑かつ流動的な力の網の目であることを示した。これによって、(特に欧・米の)フェミニズムにおいて規範化されてきた「女」像のインテグリティは解体され、ポスト・コロニアル・フェミニズム、黒人やヒスパニック女性などの具体的な視点に真摯な関心が向けられるようになった。そしてこのような脱構築的思考の流れは、1990 年代に至って、反分離主義・反同化主義の徹底によって、内部の差異を抑圧するいかなるアイデンティティをも解体するというクィア理論にまで極まっている。この理論は最終的には、ジェンダーにもセクシュアリティにも還元されない次元での個人の把握をめざすというのであるが、それはいかなることであるのか。

 また、セクシュアリティ概念を通して、これまでジェンダーによる分類の単なる対象とされてきた人間の身体についても、根本的な再検討が進められている。身体的性差(外性器の形状が指標とされる)とそれに結びつけられる性的意味づけとは、果たしてありのままの揺るぎない自然的事実であるのか、それともジェンダー化の罠に陥りやすい認識の所産であるのか。身体把握を根底から問い直してゆく過程で、トランスジェンダー(性同一障害者)やインターセックス(半陰陽者)など、性自認の多様なあり方に対する視野が開かれるとともに、男女を軸に考えられてきた生殖や医療技術の適用、人権などについての思考法も変換を迫られるであろう。

 以上のように、セクシュアリティ概念の洗い直しやポストモダン哲学を駆使した観点から、「女性」にとどまらない多様なセクシュアリティの解放に狙いを定める議論も、本大会では展開される。さらには多様なセクシュアリティの解放にとって、法律や行政、国家権力というものがどのような役割を果たすのか、という問題についても考えたい。ここでは、一部のフェミニストが強く主張する、ジェンダーの不平等是正のために国家権力を動員するという方法論が、批判的検討の俎上に載せられるであろう。

 第一日目には、最初に住吉が企画趣旨説明を行った後、《フェミニズム的視点からの法哲学への挑発》と題して、大川正彦(東京外国語大学)、川本隆史(東北大学)、堀口悦子(明治大学短期大学兼任講師)、齋藤有紀子(北里大学)各会員と、江原由美子(東京都立大学)氏がそれぞれ報告を行う。大川、川本報告は、主流的な正義論に対する、フェミニズム的視点からの異論提起を行う。大川報告はJ・シュクラーのいう「恐怖のリベラリズム」に即し、暴力批判としてのフェミニズムという視点から「悪・暴力・不正義」に対抗する新たな方向軸を示し、川本報告は、C・ギリガンが提唱した「ケアの倫理」の政治的擁護を展開し、これを政治的文脈や制度論へとつなげてゆく。堀口報告は、セクシュアル・ハラスメントを従来型の訴訟で解決することの問題性や限界を指摘し、そこから、従来の法律学、法理論の限界や、新たな権利の捉え方や救済のあり方、可能性を示唆する。 齋藤、江原報告は、日進月歩の進歩をとげる生殖医療の領域にジェンダーが与えるバイアス、そしてそのうえに推奨される「個人の」「自ら所有する身体への」「自己決定権」という概念の権力性を問題にする。齋藤報告は生殖医療技術の現状、およびそれを支える制度・法的言説が、「生殖」と「身体」を軸としたジェンダーに支えられていることがセクシュアリティにいかなる影を落としているかを示し、江原報告は、生殖医療の現場で否応なしに進行している「身体の部品化・市場化」を見据えつつ、ジェンダー化された身体を暗黙の前提とするリベラリズムの「生殖の政治」における言説が何を隠蔽しているのかを解釈する。

 第二日目は、《フェミニズムへの応答と批判的再検討/外から内から》と題し、法哲学ないし法学には、フェミニズムからの批判を包容する度量と知的蓄積があるということを具体的に示し、またフェミニズム研究の中でいわば辺境におかれていた立場の視点から、フェミニズムにおいて軽視もしくは不可視にされてきた諸問題を取り上げる。メンバーは井上達夫(東京大学)、辻村みよ子(東北大学)、内野正幸(中央大学)、住吉雅美(青山学院大学)各会員である。

 井上報告は、リベラリズムの「公共性」の概念を的確に理解すれば、フェミニズムの批判にたえうるようリベラリズムを再編する基礎固めが可能であるとして、リベラリズムの文脈から女性解放への重層的な改革実践を導き出す。辻村報告は、フェミニズムによる近代人権批判やシティズンシップ批判を充分にふまえつつ、ジェンダーの視点から公私二元論の再編や国家における家族の再定位、そして「国家権力による女性の自由」という発想への批判的再検討を試みる。

 内野、住吉報告は、従来のフェミニズムの研究空間の中でいわば《周縁》的存在であった人々の視点と問題提起を考察し、フェミニズムのいわば内側からの批判ないし脱中心化を試みる。内野報告はフェミニズムと多文化主義、文化相対主義との関係をテーマとし、西洋フェミニズムで軽視されがちだった第三世界女性問題、インドの花嫁焼き殺し・寡婦自殺、パキスタンの名誉殺人などの問題に焦点を当てる。住吉報告は、近代社会を貫く《異性愛ヘゲモニー》とそれを前提に構築されたジェンダーやセクシュアリティを攻撃対象とし、近・現代哲学を読み直しながらレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスセクシュアル等々の多様なセクシュアリティが真に解放される共同体形成の条件とはいかなるものであるかを考える。

 第二日目午後は、中山竜一(大阪大学)、井上匡子(愛知学泉大学)各会員の総合司会のもと、一、二両日の全報告者をパネラーとし、フロアーからの質問もまじえて報告をふまえた討論を行う。なお、このシンポジウムに際しては、多種多様なパネラーの議論を噛み合わせるためのいくつかの「お題(論点)」が予め設定されたうえで討論が展開される。「お題」については、学術大会開催時に全員に示される。

1.1 第1日午前の部 <個別テーマ報告>

A分科会
多胡智之(元成蹊大学博士課程)
     「『自由論』と完成主義」
高須則行(日本大学非常勤講師)
     「イェーリングの法学観について」
足立英彦(キール大学法学部ドクトラント)
     「グスタフ・ラートブルフ『法哲学の日常問題』について」
三苫民雄(愛知産業大学短期大学)
     「「ハンガリー法哲学派」の系譜—プルスキからビボーまで—」
B分科会
細見佳子(京都大学大学院研究生)
     「ソーシャル・キャピタル論」
今井竜也(金沢大学博士課程)
     「臓器提供インセンティブの法と倫理—無償提供と有償提供—」
竹村和也(同志社大学嘱託講師)
     「国際社会と正義」
樺島博志(佐世保工業高等専門学校)
     「現代正義論のパラダイム・チェインジ
      — 9.11 テロの投げかける法哲学的問題について—」

1.2 第1 日午後の部 <統一テーマ報告>

住吉雅美(青山学院大学)
     「統一テーマ「ジェンダー、セクシュアリティと法」について」
【フェミニズム的視点からの法哲学への挑発】
大川正彦(東京外国語大学)
     「悪・暴力・不正義—暴力批判としてのフェミニズムの視点から眺める—」
川本隆史(東北大学)
     「ケアの倫理と制度—三人のフェミニストを真剣に受け止めること—」
堀口悦子(明治大学短期大学兼任講師)
     「セクシュアル・ハラスメント」
齋藤有紀子(北里大学)
     「性と生殖に介入する医療における「正義」—フェミニズムと法は、誰の権利を守るのか—」
江原由美子(東京都立大学)
     「ジェンダー化された身体—「生殖をめぐる言説」の分析を手がかりとして—」
第1 日目報告に関する質疑と討論

1.3 第2 日午前の部 <統一テーマ報告>

【フェミニズムへの応答と批判的再検討/外から内から】
井上達夫(東京大学)
     「リベラル・フェミニズムの二つの視線」
辻村みよ子(東北大学)
     「ジェンダーと国家権力——人権論・シティズンシップ論の再編と
       ジェンダー法学の可能性——」(仮題)
内野正幸(中央大学)
     「フェミニズムと文化の相対性」
住吉雅美(青山学院大学)
     「アナルコ・セクシュアリズムをめざして」

1.4 第2日午後の部 <総会およびシンポジウム>

IVR 日本支部総会
日本法哲学会総会
シンポジウム「ジェンダー、セクシュアリティと法」をめぐって
    総合司会  中山竜一(大阪大学)、井上匡子(愛知学泉大学)
閉会の辞 日本法哲学会理事長 竹下賢

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