学会報第40号

(2019年9月15日発行)

ルツェルンにおけるIVR2019から得た感想

日本法哲学会理事長 森村 進(一橋大学)

 77日(日)から12日(金)にかけてスイスのルツェルンでIVR世界会議(IVR2019)が開かれ、私も参加してワーキング・グループで報告を行いました。この会議についてはIVR日本支部からの報告があるでしょうが、この場を利用して私の個人的な感想を書きます。
 主催者のあいさつによると、この会議には1300人以上の参加者があり、それはこれまでのIVR世界会議で最大だとのことです。私がプログラムを注意して見たところでは、多様性の意味と意義について全体報告を行った若松良樹会員をはじめ、40人近い日本人の報告がありました(法哲学会会員でない人も含む)。その中で私は数人の報告を聞きましたが、皆レジュメかそれどころか人によっては報告原稿を配布していました。他の報告者の中には要点を絞ったパワーポイントを利用した人もいた一方、単に原稿をメリハリなく読み上げるだけの人も少なくなく、プレゼンテーションの点では玉石混交だったので、日本人報告者には律儀な人が多いという印象を受けました。またブライアン・ライターやフレデリック・シャウアーといった有名学者の報告には多数の聴衆が詰めかけましたが、この二人のプレゼンテーションの明晰さに感心しました。
 大会全体のテーマは“Dignity, Democracy, Diversity”[尊厳・民主主義・多様性]でした。開会式で挨拶をした人の一部はこれを「3D」とひっかけていましたが、ともかく全体報告もスペシャル・ワークショップも、この三つのテーマのいずれかに関するものが多かった。私は以前書いたように、人間だけが持つ「尊厳」という観念にあまり動かされませんし(森村進「特集『人間の尊厳』を読んで尊厳観念への違和感を考える」『法の理論27』(成文堂・2007年)を参照)、今回の諸報告を聞いてもその評価は変わりませんが、ともかく理解を深めることができました。
 この世界会議から受けた別の感想は、「私が知っている法哲学は今日世界中で研究されているもののほんの一部にすぎない」ということです。150近くものスペシャル・ワークショップの中には、私が全然研究したことがないテーマや、題名からは内容がわからないテーマがたくさんありました。自分の問題関心が限定されているということは、新刊の書物や論文を見ればわかることですが、このような会議にまじめに出席するといやでも実感せざるをえません。
 ただし今回の世界会議は報告もスペシャル・ワークショップとワーキング・グループの数も多すぎて、しかも会場が複数の建物に分散していたので、聞きたい報告を聞くのはなかなか難しいことでした。
 最後に、これほど多数・多様な報告があったにもかかわらず思想史関係の報告がごく少なかったことはやや物足りなく思いました。ケルゼンやハートに関する報告はいくつかありましたが、一世紀以上前の著作など存在しないかのような報告が多いように感じました。別の見方をすれば、報告者たちには実践的な関心が強い一方、歴史的な関心は弱かったようなのです。
 しかし法哲学にせよ社会哲学にせよ、古典的著作との対話は、世人の耳目を集める今日的なテーマだけへの視野の限定を避けるために有益なはずです。法哲学は政治的運動論やジャーナリズムとは異なる目的を持っています。
 来たる11月の学術大会は12年ぶりに法思想史が統一テーマになります。どうか学会員の皆さんにおいては、この機会に法思想史の面白さを再認識してもらえれば幸いです。