学会報第51号

(2025年5月30日発行)

日本学士院会員選定のお祝い、
古典に学ぶべきこと

日本法哲学会理事長 中山竜一(大阪大学)

 
 今回もお祝いから始めたいと思います。1993年から1997年にかけて本学会の理事長を務められた田中成明会員が、昨年12月に開催された日本学士院総会において、日本学士院の会員に選定されました。法哲学の研究者が日本学士院会員となるのは、実に約40年ぶりのことです。これは、あらためて田中先生ご自身のご業績の社会的意義が認められたことにほかなりませんが、私たち後進の研究者にとっても、そして本学会の今後の発展にとっても、大変重要な意味を持つことであると考えます。田中先生、本当におめでとうございます。(詳しくは、日本学士院ウェブサイトに掲載の次の記事をご覧ください。https://www.japan-acad.go.jp/japanese/news/2024/121201.html)
 さて、最近つらつらと考えていることがあります。私がまだ大学院生だった頃――つまり、1980年代の終わりから90年代初めの話です――研究会等でお会いした年長の先生方から「若いうちは、古典を研究のテーマとしなさい」といったアドバイスを頂戴することがしばしばありました。その当時、古典という言葉でまず思い浮かぶものは、カントやヘーゲル、やや年代を下ってもケルゼンやラートブルフ辺りといった感じでした。しかし、21世紀も25年目を迎える今日では、ハートの『法の概念』やロールズの『正義論』、そしてノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』ですら、刊行からすでに50年以上を経ており、だとすれば、それらについてもすでに「古典」と呼んで差し支えないだろうな……。過ぎて行く時間の速さにいまさらながら驚きながら、とりとめもなく、そんなことを考えていました。
 ところが3月に入り、突然、海外から舞い込んできたニュースのおかげで、感傷混じりのそうした雑感も一気に吹き飛んでしまいました。皆さんもご存じの通り、アメリカのトランプ政権が大学における研究と教育に、あり得ない圧力を加え始めたからです。イスラエルによるガザでの非人道的な軍事行動に対し反対の声をあげる学生たちは反ユダヤ主義者であり、それを放置する大学は許容できない、また、多様性・公平性・包摂(DEI)を推進するための各大学の取り組みについてもその全廃を求める――トランプ政権によるこうした要求は、とんでもないものとしか言いようがありませんが、研究や教育の維持に不可欠である連邦からの助成金を停止し、正当な理由もなく留学生たちの滞在許可を剥奪するといったそのやり口は、大学における自由な意見交換や、健全な批判の営みを力でねじ伏せ、合衆国憲法で保障されているはずの言論や表現の自由をあからさまに踏みにじるものだと言わざるをえません。攻撃の標的となったのは、ハーヴァード、ブラウン、コロンビア、コーネル、ノースウェスタン、ペンシルヴァニア、プリンストンといった、いずれもアメリカを代表する重要な研究=教育拠点でした。そして、5月22日には、トランプ政権はハーヴァード大学に対し留学生受け入れ資格の剥奪を通告し、他大学に移籍できない留学生には国外退去を命じる、というところにまでエスカレートしています。
 時の政権にとって都合のわるい意見や言論を封じ込める目的で、教育=研究機関を兵糧攻めにしたり、紐つきの監視装置を各所に埋め込むべく制度変更を強要するといったことは、何も現在のアメリカに限った話ではありません。国立大学の法人化とその後の日本の学術の国際的地位低下、会員任命拒否事件を端緒とする日本学術会議への政治介入など、私たちの足下でも同様の事態は進行しています。カントやヘーゲル、ケルゼンやラートブルフ、そしてハート、ロールズ、ノージックらが「古典」であるとするならば、そこから何を学ぶかが問われているのだと考えます。