これまでの受賞者

2022

日本法哲学会は、2022年度日本法哲学会奨励賞を以下の通り決定しました。授賞式は2022年度の学術大会・総会の際に行なわれました。

著書部門

菊地諒
『「法と経済学」の揺籃』
(成文堂、20213月刊行)

学会奨励賞選定委員会の講評

本書は、「法と経済学」に関する従来の教科書的な説明とは異なり、19世紀末以降のアメリカにおける産業化に伴う社会問題の浮上と、その問題を解決するためには経済システムを統制するためのいかなる法を制定すればよいかという議論が行われていたことに、着目する。本書はその上で、ドイツで確立された歴史学派の経済理論がアメリカにおいて受容されて、法学と経済学を統一的に理解する試みがなされるようになった経緯を、それぞれの論者たちの著書・論文を丹念に読み込んだ上で説得的に示しており、従来のアメリカ法思想・法哲学の理解を塗り替えるものである。本書の論旨は明快であり、記述も平易である。課題の設定や全体の構成が明確で、一冊の書物としてのまとまりがある点も評価できる。
なお、「法と経済学」前史を描くには、経済学の知見を身に付け、経済学の基本的な一次文献(ドイツの歴史学派にもふれるのであれば、できればドイツ語文献も含めて)にも着手する必要はあるが、それは著者の今後の課題である。
本書は、19世紀末以降のアメリカの社会問題と、それを解決するための経済システムを統制する法のあり方について検討することで、「法と経済学」の揺籃を描き出すことに成功している。以上の理由から、本書は学会奨励賞に値するものと評価された。

2021

日本法哲学会は、2021年度日本法哲学会奨励賞を以下の通り決定しました。授賞式は2021年度の学術大会・総会の際に行なわれました。

論文部門

平井 光貴
「法理論に関する当為および「法理論の道徳的正当化要求テーゼ」は可能か」
(『立教法学』第101号、2020年)

学会奨励賞選定委員会の講評

本論文では、英米では理論的知見が積み上げられてきているが、日本では必ずしも十分に扱われてきていない法概念論の一つの領域が正面から取り組まれている。本論文の問いは、「法理論に関する当為は可能か」と「法理論は道徳的に正当化されなければならないか」である。論証の大半は第一の「法理論に関する当為は可能か」の問いに費やされる。著者の結論は、法理論に関する当為は知的当為であり、そうだとすれば、法理論に関する当為は可能だというものである。しかし、本論文内で取り上げられている哲学上の論争は、正当化が可能(または当為)であることは当然の前提とした上で、命題の正当化の定義(必要十分条件)をめぐるものであり、第二の「法理論は道徳的に正当化されなければならないか」の問いにおける当為(「(道徳的に)正当化されなければならない」)にかかわるものではない。本論文で指摘されている通り、そこで知的当為と呼ばれるものも、証拠の探求や信念根拠への着目、確証の比例性等々であって、命題の真理条件にかかわるものではない。これに呼応して、第二の問いに対する著者の答えは、法の定義の真理条件に道徳的正しさが含まれるならば、法理論は道徳的に正当化されなければならないというものである。これは、著者が苦心してたどり着いた知的当為とは無関係な結論である。とはいえ、知的当為についての本論文の緻密な検討は、第二の問いとは結びつかないものの、理論的貢献として一定の評価に値するものといえよう。
また、本論文には、著者の知的格闘の結果、本論文で援用された哲学からは出てこない、オリジナルな、しかもおそらく正しい主張――たとえば「方法論上の争いにおいて問題となっている当為は、……適切な方法を自発的に選択して理論構築を遂行すべきであると〔理論家を〕指導する、熟慮的当為である」――も少なからず含まれている。これらの点は、著者が、自己の直観および疑念とつねに照らし合わせつつ緻密な論証を積み重ねることによって到達した知見として高く評価でき、今後の更なる理論的検討に値する課題であると考えられる。以上の理由から、本論文は学会奨励賞に値するものと評価された。

2020

日本法哲学会は、2020年度日本法哲学会奨励賞を以下の通り決定しました。新型コロナウイルス問題の影響で2020年度の学術大会・総会は開催が延期となったため、授賞式は2021年度の学術大会・総会の際に行なわれました。

著書部門

著書部門
森悠一郎
『関係の対等性と平等』
(弘文堂、20192月刊行)

学会奨励賞選定委員会の講評

本書の目的は非常に明確である。それは、主流派の平等論に対して、独自の魅力的な代替案を提示するというものである。さらに、本書の問題意識はたいへん新鮮である。すなわち、平等の問題は、資源の分配だけに関連しているのではなく、スティグマなどを制度化する文化的意味秩序の不正義(誤承認の不正義)を是正する方向にも関連している、というのが本書の問題意識である。
本書は、以上の目的および問題意識を踏まえて、J. ロールズ、A. セン、R. ドゥオーキン、G. A. コーエンなどの従来の代表的な平等主義的正義構想を批判的に検討した上で、E. アンダーソンによる分配的平等主義批判と関係的平等主義を検討し洗練化することによって、アンダーソンの民主的平等をベースに独自に発展させた著者自身の関係的平等主義に基づく平等主義的正義構想を提示し検証するという、画期的な大著である。現代英米圏の多様かつ新しい理論への目配りや、相互関係の緻密な分析は秀逸であった。とくに、これまでの正義論を、通説的理解による分配的正義から、関係性をめぐる正義へと解釈の組み換えを施した点には、極めて高い独自色を感ずる。
本書では第4部において、著者自身の関係的平等主義に基づく正義構想から擁護されうる具体的制度構想が論じられている。平等論外部の問題領域との接点も多く、今後さらに理論的発展が見込まれるところである。以上の理由から、本書は学会奨励賞に値するものと評価された。

論文部門

論文部門
小川亮
「どこまでも主観的な解釈の方法論―規則のパラドックス・暴露論法・説明主義論証」
(『法と哲学』第5号(2019年))

学会奨励賞選定委員会の講評

本論文は、道徳的議論や法的議論において、主観的な政治的選好の押し付け合いではない規範的議論は、そもそも、またいかにして可能なのか、という問いに対し、そのような規範的議論は可能であり、その実現のために、徹底的に信念体系内在的な正当化を追究すべきだと答えるものである。規範的議論の可能性については規則のパラドックスや暴露論法による懐疑論があるが、基礎づけ主義を否定しホーリズムに与する信念体系内在的な正当化に対しては、これら2つの懐疑論は効力を持たない。そして、徹底的に信念体系内在的な正当化においては、価値が客観的に、すなわち心理独立的に実在することが「説明主義論証」によって正当化されるため、この価値に統制された規範的議論が可能となる、というのが本論文の骨子である。なお、この解答は、ロナルド・ドゥオーキンの理論を再構成したものとされているが、著者のドゥオーキン解釈それ自体の擁護は本論文の主題とはされていない。
本論文は、日本における法解釈理論に関する議論に対して、従来とは異なる観点からの提言を行うものであり、大いに示唆的である。もっとも、テーマが非常に大きなものであるために止むを得ない面があるとはいえ、論証がやや図式的で強引に見えることも否めない。とりわけ本論文の積極的主張、すなわち信念体系内在的な正当化における価値の実在の正当化可能性については、より詳細かつ丁寧な論述が期待されるところである。
とはいえ本論文は、法哲学の根本問題の1つに正面から取り組み、自らの主張を構築して解答を与えた、きわめて野心的な作品である。様々な理論家の理論の是非を手際よくまとめながら論述を進めていく手腕も、大変見事である。以上の理由から、本論文は学会奨励賞に値するものと評価された。

論文部門
菊池亨輔
「決定の発生と法規範による理由づけ(一)(二)-ヘルマン・イザイの法的思考論」
(『法学論叢』第1841号、第1854号、2018年、2019年)

学会奨励賞選定委員会の講評

本論文は、ヘルマン・イザイの法的思考論に依拠し、決定と法規範との関係について論じるものである。従来の評価では、イザイの立場は自由法学として理解されがちであるのに対し、本論文においては、イザイの立場を、三段論法を否定し、事案に対する正しい法的判断が判断者の法感情と実践理性から生ずるとしながらも、同時に、法規範を過小評価せず、事案への決定を法規範が事後的に理由づけたものと位置づける。これにより、イザイが自由法学者とは一線を画していることを明らかにしている。また、ヘックの利益法学とイザイの法的思考論との理論的な関係についても、正確に位置づけることを試み、イザイとヘックのそれぞれの理論と両者の論争を原典に忠実に紹介しており、イザイ理論全体について、テキスト内在的に丁寧に読み解き明らかにした論文として評価できる。
とはいえ、問題点もないわけではない。筆者が、なぜイザイに着目するのか、なぜイザイが自由法論者でないことがそれほど重要であるのかについて、もう少し丁寧に論証されていれば、イザイの法的思考論の重要性がより読者に伝わったと考えられるし、イザイとヘックの論争が、現在の法理論・法思想にいかなる知見をもたらすかに関する言及も不十分である。また、本論文は、従来の評価とは異なるイザイ理解を示すものであるが、自説と異なる従来のイザイ理解に対しての自説の優位が、イザイのテキストに即して十分に説得的に展開されているかは、疑問がないわけではない。
これらの問題点があるとはいえ、我が国の議論状況の中でもそれほど知られていると言いがたく、取り組む人が余りいなかったイザイの理論について、自由法学とも利益法学とも区別されるものとして捉え、オリジナリティのあるイザイ理解を提示した点で、貴重な業績であることは間違いない。また、イザイが、法実務家としての経験から、法規範と決定との関係について記述した内容を正確に整理・検討し、法学者が法規範を大前提として考えるのに対し、実務家が事案に対して決定をなしてから事後的に法規範によって決定を理由づけるということを明快に示している点も高く評価できる。
以上の理由から、本論文は学会奨励賞に値するものと評価された。

2019

 日本法哲学会は、2019年度日本法哲学会奨励賞を以下の通り決定し、2019年11月16日に、学術大会・総会が開催された立命館大学において、授賞式を行いました。

著書部門

西迫大祐
『感染症と法の社会史 病がつくる社会』
(新曜社、20188月刊行)

学会奨励賞選定委員会の講評

 西迫大祐会員の著書『感染症と法の社会史 病がつくる社会』は、18世紀・19世紀のフランス、特にパリにおける感染症予防と法や規則の問題に関する、社会史的な研究手法による独創的かつ意欲的な研究書である。本書は、「世界観としての感染症」という発想を手掛かりとして、当時の人々が知覚した感染症に関する現象を問題にする。それにより、医学と道徳的感情が混合しつつ感染症の社会的意味が形成され、その予防のための法や規則が成立してくる複雑なプロセスについて、歴史上の具体的な事象の検討を通して解明しようとする。そうした、本書の論旨は明確である。
 本書は、本論である各章の展開に先立ち、まずは序章において、古代ギリシアから18世紀にいたるまでの、感染症と予防に関する広範な視点を提示している。すなわち、感染症の原因に関する「ミアズマ」という考え方と、「感染」という考え方を取り上げ、両者の違いとイメージの連なりについて検討している。そのうえで、本論が展開され、1902年の公衆衛生法や1916年の結核に関する法にいたるまで、社会史的素材を粘り強く分析し考察することにより、一貫した論旨のもと、本書はまとめあげられている。
 しかし、欲を言えば、各章での分析や考察の際に折々に登場しているフーコーの理論に関して、独立した章もしくは「おわりに」において総括的な議論の提示があれば、「法の社会史」を通した「法哲学」の業績として、より説得的になったのではないかと思われた。
 とはいえ、本書は、感染症の予防という主題を通して、「命を救うものとしての衛生」と「統治としての衛生」という「衛生」の両義性を論点化するなど、社会・国家・法・統治・権力の総体を視野に入れた議論を展開している。その意味で、本書は、法哲学的問題関心と法社会史的な丹念な歴史分析が結びついた、オリジナリティのある優れた業績であるとみなすことができる。また、論旨、構成、展開、文章、いずれの点においても高い水準に達している。以上の理由から、本著書は学会奨励賞に値するものと評価された。

論文部門

論文部門
松田和樹
「同性婚か? あるいは婚姻制度廃止か?-正義と承認をめぐるアポリア-」
(『国家学会雑誌』第131巻5・6号、2018年6月刊行)

学会奨励賞選定委員会の講評

 本論文は、正義の基底性を重視するリベラルな立場からの法制度改革および意味秩序変革の構想の提示を目的としており、その意味で、法哲学的考察そのものである。即ち、ヘテロ・セクシズムの下で貶められてきた人々(同性愛者、複婚など)も自己固有の善き生の構想を追求/形成する存在であるという認識を示したうえで、そうした人々も自分たちの善き生の構想を支配的集団と対等な立場で追求/形成することが可能になるような法制度改革の構想を示している。結論として、異性間単婚制や諸々の単婚制擁護論を批判し、その一方で同性愛や複婚などを擁護したうえでさらに婚姻制度の廃止、差別禁止法の提案までをも導く、実に野心的かつ果敢な秀作である。リベラリズムの観点から、現在の一夫一婦制が財と承認の配分の不平等(異性間単婚カップルのみに有利である)をもたらしているという問題点を剔抉している点にも意義がある。しかもこれらの議論を、日本法の文脈で展開している点も好ましい。
 とはいえ、問題点もないわけではない。批判対象の理論の分析などにおいて、独自な論点の掘り下げという点では不十分なところがある。また、同性婚か婚姻制度廃止かという二項対立的な問題枠組は、各国で導入されているパートナーシップ制度の法的位置づけの意義を主要論点から外しかねないという難点も併せ持つ。欲を言うならば、筆者の構想により説得力をもたせるためには、「承認の政治」に関する政治哲学的な理論づけや、「承認の政治」を実現するための「法」とは何かという法概念論的な検討が求められよう。
 これらの問題点があるとはいえ、本論文の目的が、正義の基底性を重視する立場から様々な正義論を批判的に整理したうえで、筆者が擁護する立場からいかなる法制度改革および意味秩序改革が求められるのかを示すことであるとすれば、その目的は十分に果たされていると言える。文章に勢いがあり流麗で明快、かつ要所の引用も適切であり、ジェンダー問題に関する深い洞察が随所に現れている。ヘテロ・セクシズムの意味秩序の変革にまで目を向けている点など、筆者のリベラリズムの徹底とこの問題への並々ならぬ情熱が感じられる。日本の婚姻制度の変革に向けた、正義論からの力強い提言であると言っても過言ではない。以上の理由から、本論文は学会奨励賞に値するものと評価された。

2018

 日本法哲学会は、2018年度日本法哲学会奨励賞を以下の通り決定し、2018年11月10日に、学術大会・総会が開催された東京大学において、授賞式を行いました。

著書部門

西村清貴
『近代ドイツの法と国制』
(成文堂、20178月刊行)

学会奨励賞選定委員会の講評

 西村清貴会員の著書『近代ドイツの法と国制』は、わが国における久々の19世紀ドイツ国法学に関する包括的な研究書である。本書は、ゲルバーやラーバントらの学説を「実証主義」国法学とする従来の通説と批判的に対峙し、彼らに対する批判者として知られるギールケも俎上に載せ、各人に共通の土台と独自の法と国制の構想を丁寧に検討し解明している。その際、サヴィニーの歴史法学からの影響を重視しつつ、「法と法律の区別」や「公共体としての国家」という理念を通して法と国制の構想を検討する本書の論旨は明確である。
 本書は、ドイツやわが国における近年の研究動向をふまえ原著や多くの文献を渉猟して、それらを一貫した論旨の中で粘り強く詳細に分析・考察してまとめあげられている。その際、各章・節・款・補論・小括などの配置は適切であり説得的な構成と展開がなされており、学術的に高く評価できる。
 しかし、欲を言えば、本書における鍵概念の一つでもある「公共体としての国家」という理念については、さらに一歩踏み込んだ明確化が望まれるところである。「公共体としての国家」という理念は、「民族によって民族のために存在する」ものとしてまずは提示され、『公権論』期のゲルバーとギールケの国制論に共通するモティーフに関連しても言及されていたが、この二つの論点は、本書の論旨にとって特に重要であり、さらなる掘り下げと明確化が望まれる。「公共体としての国家」という理念の内実を明確化することにより、本書の説が他説よりも内在的理解として適切であることを、より客観的かつ説得的に示すことができるであろう。なお、「実証主義か自然法論か」という二者択一的思考が従来の法哲学・法思想史における研究枠組みであった、とする研究状況の把握には疑問が残る。
とはいえ、本書が豊富な研究資料に裏付けられた労作であることは、間違いない。論旨、構成、展開、文章、いずれも高い水準に達している。以上の理由から、本著書は学会奨励賞に値するものと評価された。

著書部門

福原明雄
『リバタリアニズムを問い直す―右派/左派対立の先へ―』
(ナカニシヤ出版、20174月)

学会奨励賞選定委員会の講評

 本書は、リバタリアニズム=最小国家論という従来の一般的な理解を超え、リバタリアニズムの新たな地平の開拓を目指した意欲作である。
リバタリアニズムの様々な立場を比較検討し、分配原理によるリバタリアニズム分類の再構成、右派・左派・中道への鳥瞰、リバタリアニズムの様々な正当化根拠への批判などが丁寧に展開され、ひとつのリバタリアニズム理論を展開するにあたり従来想定されていたより多くの論点の検討が必要であることが示した点でも意義ある著作である。
 筆者自身の立場は、リバタリアニズムのアイデンティティにつき、基本的にはノージック的な自己所有権論リバタリアニズムであるものの、通説的リバタリアニズムの理解を超え、再分配をある程度認める中道的な見解に見いだす。そして、分配に関する「十分性説」に依拠することを示した上で、自己著述者性(自らの人生における事柄すべてを自らの決定の下に置き、自らに帰属させようとする見方)という立場を提示する。筆者のこれらの主張は明快であって、リバタリアンが最も扱いづらい分配問題につき異論を予期しつつ正面から挑戦しているという点は高く評価できる。
 ただし、既存の理論に対する批判的分析の厚さに比べ、自らの立場の積極的論証は、リバタリアニズムのアイデンティティ問題が何故それほど重要なのかという筆者の問題設定を含めて、必ずしも十分ではない。また、政治哲学的論考の色彩が強く法理論・法制度の部分は薄いと言わざるをえない。加えて、自己所有権論の検討にとって重要なコーエンの理論の検討やリバタリアニズム以外のリベラリズムの検討がよりなされている方が望ましいともいえるなど、幾つかの問題点はある。
 とはいえ、本書がリバタリアニズムの本格的な研究書であることは疑いなく、リバタリアニズムの多くの論点につき自らの思考を自力で展開するという姿勢と共に、十分評価に値すると考えられる。以上の理由から、本著作は学会奨励賞に値するものと評価された。

論文部門

佐藤 遼
「法律関係論の史的展開(一)~(四)完)」
(『法学論叢』1786号、1792号、1795号、1801号・2016年)

学会奨励賞選定委員会の講評

 本書は、法律関係およびその変化のプロセスをいかに記述するか、という法哲学上の重要問題に取り組むものである。19世紀ドイツおよび、19世紀末から20世紀初頭の英語圏における、権能概念を重視した思想の系譜を丹念に辿った上で、これまでの通説的な見解を大きく塗り替えようと試みる長編の労作である。
 法哲学の通説的な理解では、ホーフェルドが法律関係を記述するための諸概念を提示し、それらの相関関係や矛盾関係を提示したとされている。しかし、実は、彼の提示した諸概念は、すでにサーモンドによって提示されていたということが、著者によって示されている。著者によるこの指摘は、従来の法哲学の理解を塗り替えるものであり、学術的に高く評価される。著者の優れた点は、以上に加えて、ホーフェルド以後の議論状況を整理しているところにもある。すなわち、一見すると直観に反するような義務者の権能(とくに反義務権能)について、コクーレクの難解な見解を正確に把握した上で、説得力ある形で提示している点である。
 ただし問題がないわけではない。本論文ではその成果として、法律関係の記述における権能の領域の重要性を示したとされているが、その評価の前提となるべき、権能概念の「重要性」について必ずしも十分な論証がなされていないからである。とはいえ、法律関係の記述において権能概念が果たす役割を明らかにするという論旨と構成は明快である。以上の理由から、本論文は学会奨励賞に値するものと評価された。

2017

 日本法哲学会は、2017年度日本法哲学会奨励賞を以下の通り決定し、2017年11月18日に、学術大会・総会が開催された大阪大学において、授賞式を行いました。

著書部門

横濱竜也
『遵法責務論』
(弘文堂、2016年8月刊行)

学会奨励賞選定委員会の講評

 横濱竜也会員の著書『遵法責務論』は、遵法責務に関する、我が国において初の総括的な研究書である。遵法責務問題とは、法システムの作動において前提となる、「悪法でも法である限りそれに従う義務はあるのか、あるとすればその理由は何か」という法哲学の課題であるが、この最難課題に、本書は真正面から取り組み、粘り強い考察を進めている。本書ではこの課題に取り組むために、法内在的価値と政治道徳的意義という2つの柱を立てたうえで、種々の理論を整理し、その成否を検討するという全体構成が取られている。
 即ち本書では、法実証主義や法内在価値説の批判的検討から、同意理論、連帯責任論、帰結主義的正当化、公平性論、正義の自然的義務論など、関連理論をひとつひとつ丹念に批判しつつ、遵法責務の正当化根拠を探究するという議論が展開されているのであるが、そこには冒頭に示した問題意識が明確に貫かれており、また各章の展開も適切かつ緻密であってきわめて高く評価できる。その上で横濱会員は遵法責務論が統治原理に関わる法の根本問題であることを摘示しており、また関連諸理論についての批判的検討は、法哲学的知見に関する示唆に富んでいる。
 もちろん問題がないわけではない。欲を言うならば、法概念論と政治的責務論との関係、遵法責務の政治的責務への還元、法遵守のための機関分立の意味などについて、さらなる解明が望まれるところではある。しかしこれまで注目されてこなかった重要なテーマに果敢に取り組み、関連文献に丁寧に当たるなど豊富な勉強量に裏付けられた労作であることには間違いはなく、同様の志を抱く後進への励ましになる著作である。論旨、構成、展開、文章、いずれも高い水準に達している。以上の理由から、本著書は学会奨励賞に値するものと評価された。

論文部門

米村 幸太郎
「「功績Desert」概念と応報」
(『法哲学年報 2015』2016年11月刊行、所収)

学会奨励賞選定委員会の講評

 本論文は2015年度学会報告をもとにして、『法哲学年報2015』に掲載されたものである。短いながらも、ロールズの分配的正義における功績否定論と刑罰における功績肯定論との間の非対称性という謎を明確に提示し、この謎に対する論争を概観し、著者なりの見解を示すというきれいな形で展開されている好論文である。
 本論文は、ロールズの功績概念に関する非対称性を難点だと考える通説的な見解と対決し、非対称性を擁護する。とは言え、分配的正義の領域における功績概念の否定は、何らかの仕方で、刑罰の領域における功績肯定論に対して影響を与えざるを得ない。そこで、筆者はロールズの正義論から応報主義を正当化する「刑罰のフェアプレイ論」を導き出す。すなわち、刑罰は正義にかなった制度への違背、公正に分かち合うべき負担の回避として理解されることになる。最後に、筆者はフェアプレイ論に対する批判を検討し、それらに対する応答が可能であることを確認し、刑罰のフェアプレイ論が一定の頑強さを備えた理論である、と結論づける。
 本論文には、紙幅の制約上、やや舌足らずではないかと思われる表現や、考察、検討が不足気味の論点が残されていることは否定できない。しかし、明確な問題設定、豊富な勉強量に支えられた考察されるべき論点の適切な抽出、対立する意見を丹念に検討した上で出されるフェアな評価など、筆者の法哲学者としての技量の高さは、特筆すべきものであり、後の筆者の法哲学者としての飛躍が期待できる。以上の理由から、本論文は学会奨励賞に値するものと評価された。

論文部門

森 悠一郎
「高価な嗜好・社会主義・共同体──G.A.コーエンの運の平等主義再検討」
(『法と哲学』第2号、2016年5月刊行)

学会奨励賞選定委員会の講評

 本論文は、「高価な嗜好を有する者がその機会を奪われるような場合、それに対する補償を行わなければならないか」という、比較的限定されてはいるが運の平等主義の意義と射程に大きくかかわる問題に焦点を絞り、これに対するG.A.コーエンの理論的見解に一定の評価を与えつつも、そこに内包される問題点を析出する意欲的な試みである。
 まず本論文は、高価な嗜好をめぐりコーエンとR・ドゥオーキンの間で交わされた論争を丹念に跡づけ、そこからコーエンの主張の特徴をつかみ出すとともに、その主張がコーエンのより基礎的なコミットメントである社会主義社会の理想と整合するのかと問う興味深い構成となっている。また、こうした理論的検討を行う際の論旨の展開は明快であり、周辺的な議論への目配りについても怠りがない。
 特筆すべきは、厳然たる運(brute luck)は制度によっても作られるというコーエンのこだわりが、著者の問題関心とも重なるようにも思われる点、つまり、執筆動機の内発性が感じられる点である。著者は、制度が生み出す厳然たる不運という視角には、自由市場におけるノーマルでない少数者に向けられたインフォーマルな差別の存在を可視化する実践的含意があると評価するが、この独自の考察が今後どのような議論へと発展していくのか期待される。
 文章表現や問題関心の共有の可否により評価が分かれる可能性はあるものの、本論文は今後の発展を大いに期待させる作品である。以上の理由から、本論文は学会奨励賞に値するものと評価された。 

2016

2016年度 日本法哲学会奨励賞 (2015年期)

 日本法哲学会は、2016年度日本法哲学会奨励賞につき、受賞作なしとする旨を決定しました。

2015

2015年度 日本法哲学会奨励賞 (2014年期)

 日本法哲学会は、2015年度日本法哲学会奨励賞につき、受賞作なしとする旨を決定しました。

2014

2014年度 日本法哲学会奨励賞 (2013年期)

 日本法哲学会は、2014年度日本法哲学会奨励賞を以下の通り決定し、2014年11月8日に、学術大会・総会が開催された京都大学において、授賞式を行いました。

論文部門

大澤 津
「ロールズ正義論と『意味ある仕事』」
(『法哲学年報2012』、2013年11月刊行、所収)

学会奨励賞選定委員会の講評

本論文は、従来のロールズ研究においてあまり注目されることのなかった「意味ある仕事」という概念について、正義論や公共的理性論と関連づけながら緻密に考察している点で独創的かつ野心的であり、またロールズ正義論の人間論的な側面を扱っているという点で興味深い論考である。また形式的な側面から見ても、全体的に考察の進め方が論理的に洗練されており、紙幅の制約にもかかわらず、論旨は明晰である。
本論文においては、まず最初に「意味ある仕事」の二つの定義を区別した上で、前期ロールズの正義論においても、後期ロールズの公共的理性論においても、「意味ある仕事」は、(A)独立した各人の善の構想によって定義されるものではなく、むしろ(B)社会的義務を果たすことによる集合的・社会的自己実現という意味に理解されるべきことが、テキスト内在的に示されるとともに、このような理解が、各人の道徳的自由を重視するリベラルな正義論と齟齬をきたしかねないことが、批判的な視点から的確に指摘されている。
もちろん、本論文の主張に対しては、「社会的義務が『意味ある仕事』概念を規定していることは、特定の『善き生』の構想にロールズの正義論が依存していることではなく、社会的義務を規定する彼の正義原理が善き生の構想を制約することを意味し、これは彼の『善に対する正義の優位』の原理に反してはいないのではないか」といった疑問が提起されうるから、さらなる検討の余地がないわけではない。
しかしながら、総合的に判断するならば、本論文は現時点においても既にかなり高い研究レベルに達しているのみならず、今後の研究の進展と深化を期待させるという意味でも、学会奨励賞に十分値すると思われる。

論文部門

松島 裕一
「ノモス・バシレウス考:ピンダロス断片一六九aの解釈と受容」
(『摂南法学』第46号、2013年1月刊行)

学会奨励賞選定委員会の講評

本論文は、従来日本における法思想史研究において長らく見落とされてきた「ピンダロス断片169a」を取り上げ、その欧米における解釈史を丹念に辿りつつ「ノモス」概念について検討を加えた、きわめて有意義な論文である。
筆者が述べるように、この「ピンダロス断片」は我が国では従来、ほとんど主題として扱われてはこなかったものであるが、西欧の法思想におけるその影響力および研究の蓄積を考えると、我が国の法思想史研究者も必ず踏まえておくべきものであると考えられ、この題材を紹介したという点で、本論文にはまず大きな意義がある。もちろん着眼だけではなく、諸説が錯綜する本「断片」の解釈について、著者は論点ごとに諸説を比較検討し、自らの見解も加えながら、狭義の古代法思想以外の研究者にもわかりやすく「断片」の意義を紹介することに成功している。
研究手法の面からも、筆者は、「断片」のギリシャ語原典資料に直接、語学的知識に裏付けられた検討を加えているほか、研究史の動向の紹介においても、独仏を含む海外文献を多く利用しており、かつそれぞれに対する検討、評価も上述のように非常に緻密である。こうした資料研究の手法とその充実度の点でも、本論文は、筆者の法思想史研究者としての潜在能力を感じさせるものである。
本論文の中核は、断片中の「ノモス」という語について慣習説と神法説を対比させつつ行なわれる検討にあると言えるが、その論述は、解釈史研究のスタンスを守りながらもノモス概念そのものの法哲学的考察となってもおり、思想史研究者に限らず法哲学・法学に関心を持つ読者に多くの示唆を与えるものである。
こうした緻密な史料研究を基軸にした法思想史研究は我が国では十分活発であるとは言えないが、本論文が、このタイプの研究を発展させていく上での刺激となることも十分期待できるであろう。
敢えて言えば、後半のシュミットや尾高朝雄における「断片」の受容を評価する部分については、必ずしも論述が十分に展開されたとは言えず、前半の資料研究部分との内的連関が薄いと感じられるところはあるが、一方で、今後より広範な文脈での「ノモス」概念の研究に繋がっていくことを期待させる内容であるとも言える。
以上の理由から、本論文は、学会奨励賞に値すると評価できる。

2013

2013年度 日本法哲学会奨励賞 (2012年期)

 日本法哲学会は、2013年度日本法哲学会奨励賞(2012年期/著書部門2点・論文部門該当作なし)を以下の通り決定し、2013年11月16日に、学術大会・総会が開催された駒澤大学において、授賞式を行いました。

著書部門

伊藤 泰
『ゲーム理論と法哲学』
成文堂、2012年

学会奨励賞選定委員会の講評

本書は,ゲーム理論を用いて法の分析をおこなうことに正面から取り組んだ力作である。ゲーム理論を用いることで法哲学の問題群がどのような変化を遂げるのかという一貫した視点に基づき,ゲーム理論の思考枠組や「フォン・ノイマン―モルゲンシュテルン効用」のような基本概念を丁寧かつ明晰に紹介している本書により,法学者のゲーム理論の理解は格段と進むであろう。しかし,むしろ,本書の優れている点は,ゲーム理論のような法学以外の社会科学の成果を法学へ持ち込む際にありがちな,特定の社会科学の理論の導入の意義を抽象的に示唆することで終わることなく,立憲段階と立法段階,憲法改正,包括的基本権,慣習としての憲法などの法哲学上の重要な実践的な問題について,ゲーム理論の枠組みを用いて分析を試みている点にある。多様な問題群を扱っているためか,既存の個別法理論へ与える具体的影響や分析結果の総括については必ずしも十分には明らかにされていないが,それでもゲーム理論のアプローチの有する豊穣さは十分に伝えられており,本作は学会奨励賞に十分に値すると思われる。

著書部門

木原 淳
『境界と自由―カント理性法論における主権の成立と政治的なるもの』
成文堂、2012年

学会奨励賞選定委員会の講評

本書は、従来軽視されてきた嫌いのある『法論』における理性法論の検討を通して、カントの共和主義的国家構想と、それと連なる世界市民主義的な秩序構想を浮き上がらせる労作であって、手堅い資料クリティークによって提示されるカント国家論は、現在、カント法哲学研究の国際的スタンダードとされるW.ケアスティングの自由主義的な理解に対する有効なアンチテーゼとなっている。カント理性法論は普遍主義的なものと見られる傾向が強かったが、本書は、カントの議論をルソーやロックのそれと丹念に対比させながら、さらに彼の「可想的占有」観念の分析に基づいて、その通念を批判し、それが「父なる大地」に対する「パトリオティズム」をその根底に持つところのエスニックな主権秩序を目指すもの、つまり、「国民主権的な枠組みを取る理性法空間の構想」であることを抉り出した。だからこそ、カントは公法を優位させ、抵抗権を否認し、主権国家が併存する国際法秩序を前提とした「世界市民社会」の構築を展望したのだという。グローバリズムに対抗する文脈でカント国家論の意義を再定位しようとする、刺激的な問題提起である。

2012

2012年度 日本法哲学会奨励賞 (2011年期)

 日本法哲学会は、2012年度日本法哲学会奨励賞(2011年期)について審査しました。残念ながら本年度は受賞作なしという結論となり、学術大会・総会が開催された関西学院大学において授賞式は行なわれませんでした。

2011

2011年度 日本法哲学会奨励賞 (2010年期)

 日本法哲学会は、2011年度日本法哲学会奨励賞(2010年期)について審査しました。残念ながら本年度は受賞作なしという結論となり、学術大会・総会が開催された一橋大学において授賞式は行なわれませんでした。

2010

2010年度 日本法哲学会奨励賞 (2009年期)

 日本法哲学会は、2010年度日本法哲学会奨励賞(2009年期/著書部門2点・論文部門該当作なし)を以下の通り決定し、2010年11月20日に、学術大会・総会が開催された西南学院大学において、授賞式を行いました。

著書部門

河見 誠
『自然法論の必要性と可能性―新自然法論による客観的実質的価値提示』
成文堂、2009年

学会奨励賞選定委員会の講評

著者は本書において、「正しさの基準を構成する内容として実質的価値の客観的提示……が可能である、とする新自然法論の検討を中心に据える」ことによって、「『どうして』法とその解釈適用が『正しい』と言えるのか、という正しさの基準を探求し、説得力のある形で実定法学に提示」しようとする。新自然法論に基本的に依拠する本書の最大の特徴は、一方では近代リベラリズムの知的遺産と真摯に対峙することによって個人的な生の多様性と自由な選択を承認しつつも、他方では、価値や規範を事実に還元することを拒否する「反還元主義」の立場から、あえて法的な正しさの基準を構成する実質的価値を客観的に提示すようと試みている点に認められる。法実証主義が現代法哲学における主流を占め、自然法論が圧倒的な少数派になっている現代において、本書のこのような問題意識は、まさに法思想の現状に対する果敢な知的挑戦として学問的評価に値する。

論文部門

松尾 陽
「法解釈方法論における制度論的転回―近時のアメリカ憲法解釈方法論の転回を素材として(1)(2・完)」
『民商法雑誌』140巻1号、2号・2009年

学会奨励賞選定委員会の講評

本論文は、1950年代から現代に至るアメリカ合衆国における憲法解釈の方法をめぐる論争を、その背後に合衆国憲法を建国文書として戴くアメリカの民主政において議会と裁判所の果たすべき役割についての見解の相違があるとみて、憲法思想史および法哲学の観点から代表的論者を取り上げつつ、詳細に検討するものである。考察の出発点は、司法審査を通じて多くの積極的な判決を導き出したウォーレン・コートである。これに対する保守派からの反撃手段が、憲法のテキストまたは制定者の意図に忠実な解釈をすべしという、原意主義と呼ばれる解釈方法論である。原意主義論争とそれに続く制度論的展開に関する検討は、裁判所と議会が実際に何ができ、それをした場合に、議会や他の裁判官にどのような影響を及ぼすかという観点から民主政のあり方を考察するものである。本論文における諸説の整理・分析は説得的であり、解釈法学的意義も大変大きい。

2009

2009年度 日本法哲学会奨励賞 (2008年期)

 日本法哲学会は、2009年度日本法哲学会奨励賞(2008年期/著書部門2点・論文部門該当作なし)を以下の通り決定し、2009年11月14日に、学術大会・総会が開催された関西大学において、授賞式を行いました。

著書部門

濱 真一郎
『バーリンの自由論―多元的リベラリズムの系譜』
勁草書房、2008年2月

学会奨励賞選定委員会の講評

 著者は本書でバーリンの消極的自由と積極的自由との対比をめぐる従来の議論から、一歩先へ進み、ラズやグレイやシュクラーなど、バーリンと共通点もあるが重要な相違もある思想家との比較検討を行いつつ、「最小限に品位ある社会論」の再構成を目指す。その際に、「多元論的リベラリズム」という表現をどう合理的に説明するかが、バーリンの新たな課題となるが、価値多元論とリベラリズムの間に「弱い心理学的結びつき」テーゼを主張して、強い結びつきを築こうとするものと、弱いテーゼを無に帰して結びつきを解体するものの両極を退ける。反ユートピア思想がこうした位置づけの背景をなしている。本書は、内外の関連文献を渉猟し、引用における註のつけ方も懇切丁寧で正確を期しており、バーリンの生涯にわたる議論を射程に入れる年季の入った本格的力作である。これからバーリンの研究に取り組む研究者にとっては、必ずや参照すべき基本的文献となるであろう。

著書部門

橋本 祐子
『リバタリアニズムと最小福祉国家―制度的ミニマリズムをめざして』
勁草書房、2008年1月

学会奨励賞選定委員会の講評

 著者は本書で福祉国家の検討を中心的なテーマとして、リバタリアニズムの観点から、平等主義と無政府資本主義という二つの主張を斥け、「最小福祉国家」の正当性を論証し、そのあるべき法秩序をさぐっている。本書における数人のリバタリアン理論家の検討は簡潔ながら各人の思想の内在的理解に基づいており、平等主義の批判的検討も内部の「何の平等」論争にこだわらず、より根本的な論点をついているため、どれも熟読の価値があるが、白眉は最終章で「最小限の福祉への権利」を擁護する部分である。ここには著者の理論的誠実さと思考の深さが一番よく表れている。全体として本書は、瑣末な論点を追うかわりに正義論と規範的法理論の本質的な諸問題に考察を絞り、オリジナルで明晰な議論によってリバタリアニズム理論の水準を向上させ、福祉国家論に大きな貢献をする、骨太の業績である。

2008

2008年度日本法哲学会奨励賞(2007年期)

 日本法哲学会は、2008年度日本法哲学会奨励賞(2007年期/著書部門1点・論文部門該当作なし)を以下の通り決定し、2008年11月22日に、学術大会・総会が開催された学習院大学において、授賞式を行いました。

著書部門

安藤 馨
『統治と功利―功利主義リベラリズムの擁護』
勁草書房、2007年5月

学会奨励賞選定委員会の講評

 法哲学の学界でも倫理学界でも今日ほとんど正面切った支持者のいない功利主義を批判に対して復活させようとする気宇壮大な試みであり、その大胆さ・独創性はいくら高く評価しても過大評価にならない。功利主義内部のさまざまのヴァージョンについても詳細で正鵠を射ている紹介・検討がある。功利主義の研究者はむろんのこと、正義論や倫理学に関心を持つ研究者にとって、この本を無視することは許されない。文章は読者に予備知識を要求しすぎて難解なところもあるが、もっとわかりやすく書こうとしたら、ずっと長大な本になってしまっただろう。ただベンサムと同様、功利主義を一次的には統治のための思想として理解する以上、法制度と法理論への含意がいま少しほしいが、これは著者の将来の研究への期待としたい。

2007

2007年度日本法哲学会奨励賞(2006年期)

 日本法哲学会は、2007年度日本法哲学会奨励賞(2006年期/著書部門2点・論文部門1点)を以下の通り決定し、2007年11月10日に、学術大会・総会が開催された同志社大学において、授賞式を行いました。

著書部門

金井 光生
『裁判官ホームズとプラグマティズム―〈思想の自由市場〉論における調和の霊感』
風行社、2006年2月

学会奨励賞選定委員会の講評

 3部(9章)構成の本書は、「神秘の降誕―プラグマティズムの引力と斥力」(Ⅰ部)、「アポロの竪琴―ホームズのプラグマティズム法学」(Ⅱ部)、「天体の音楽―ホームズ裁判官の名推理」(Ⅲ部)という各部表題が示すように、名裁判官そしてプラグマティズム法学の先駆者として有名なホームズの法思想全体を、従来の混迷したホームズ理解を批判的に検証しつつ、パース流の実在論的真正プラグマティズムの基本視座から体系的に再構成し、新たな知見を付け加えたものである。とりわけ、〈思想の自由市場〉論に収斂するホームズ法思想の実践面の考察(Ⅲ部)は示唆に富み且つ先行研究に見られない先見性が認められる。もっとも、例えばプラトンやカントの哲学とホームズとの思想史的連関性についての言及が物足りないなど課題も若干残されているが、本書が向後も学界に貢献しうる著者の力量を実証するに足る労作であることは十分認められる。

著書部門

大森 秀臣
『共和主義の法理論―公私分離から審議的デモクラシーへ』
勁草書房、2006年6月

学会奨励賞選定委員会の講評

 本書は、奇を衒わない平明な表現で、現代の主要な政治哲学上の立場であるリベラリズム・共同体論・「審議-参加型共和主義」の対立点を手際よく整理検討し、第3の「共和主義」に与する自己の立場を明確に打ち出している。共和主義の法理論に向けて、遵法義務論を試みるなど、重要な法理論上の問題のいくつかを広い視野で意欲的に取り上げている。対抗理論となるリベラリズムについては、その長所を十分に理解した上での批判とは言いがたい部分もあるが、まんべんなく主要な論点を取り上げている。自己の立場に近いハーバーマスに対してはさらに批判的な読解が望まれるが、その主張を正確に捉え、立論に有効に活用している。ハーバーマスの主張がリベラリズムのそれと本質的に相容れないものかどうか、決定的な問題だけに、権力が自由を侵しうるものであると同時にそれを保障するものでもあるという両義性を十分に自覚した権力問題の考察とともに、将来の課題とされたい。今後も持続的に研鑽を積めば見事な開花が期待されるので、学会による奨励にふさわしい作品と評価する。

論文部門

瀧川 裕英
"Can We Justify the Welfare State in an Age of Globalization? Toward Complex Borders",
in: Archiv für Rechts- und Sozialphilosophie, Vol. 92, Heft 1 (2006).

学会奨励賞選定委員会の講評

 政治的責務の特殊性と普遍的価値との関係という法哲学の根本問題をグローバル化時代における福祉国家のあり方というアクチュアルな問題との関係でとりあげ、自己の立場を明快な議論で打ち出している。規範的議論に分析的緻密性を与えようとする意志が明確に読み取れ、かなりの程度、それに成功している。ただし、課題設定が野心的な割には、議論が簡略にすぎるとの印象もある。特に Complex Bordersの概念は着想としては面白いが、制度設計上のfeasibilityをこれがもつのかという問題が検討されていない。また国際的分配的正義の問題に関する検討も不十分である。しかし、今後の更なる議論展開のための理論枠組はしっかり提示しており、学会奨励賞に十分値する。

2006

2006年度 日本法哲学会奨励賞(2005年期)

 2006年度日本法哲学会奨励賞(2005年期)は、著書部門・論文部門ともに該当作がありませんでした。

2005

2005年度 日本法哲学会奨励賞(2004年期)

 日本法哲学会は、2005年度日本法哲学会奨励賞(2004年期/著書部門・論文部門、第1回)を以下の通り決定し、2005年11月12日に、総会・学術大会が開催された南山大学において、授賞式を行いました。

著書部門

大江 洋
『関係的権利論:子どもの権利から権利の再構成へ』
勁草書房、2004年3月

学会奨励賞選定委員会の講評

 候補著書は、強固な意志と合理的判断能力を備えた成人健常者を想定する伝統的な権利概念を抜本的に検討しようとするものである。権利とそれを支える理論は、少なくとも近代において、個人の確立と個人を基盤とする社会の構想を具体化するという歴史的な役割を果たしたが、現代では、子供、障害者、高齢者など多様な人間を重視する社会環境の中では時代遅れとなりつつある。候補著作は、子供の虐待に焦点をあわせ、子供の権利を論じることを通して、権利は、さまざまな関係性を考慮することによって、柔軟性を備えたものとして構想すべきであるという主張を展開している。権利という道具と理論の技術革新を図ろうとする意欲的な試みとして高く評価できる。
 しかし、候補著書は、アメリカ合衆国の新しい理論を批判的に検討して議論の手がかりとしているが、伝統的な日本の権利論がなぜ、どのような形で虐待との関係で子供の権利の保護に失敗したのかを明確にしていない。さらに、議論の核心をなす「関係性」については、多々検討を加えているが、実際の事件処理の中でどのようにその関係性が伝統的な権利概念以上に威力を発揮するのかの論証も必ずしも十分とはいえない。
 それにもかかわらず、選考委員会が候補著書を推薦するのは、権利という法学の基本概念の革新に挑戦し、成人ではなく、子供という斬新な観点から問題を分析することによって、革新の一つの方向を示したこと、さらに子供の権利を論じることによって、抽象的個人ではなく、具体的で多様な人間に適用できる権利論の必要性を明示したことを高く評価したからである。著者が関係的権利論を今後より具体化し、法実務においても参照されるだけの有効な理論に成長させることを期待する。

論文部門

大屋 雄裕
「規則とその意味──法解釈の性質に関する基礎理論(1)~(5)完」
国家学会雑誌116巻9-10号~117巻9-10号、2004年10月

学会奨励賞選定委員会の講評

 候補論文は、規則適用のパラドクスをめぐるソール・クリプキの議論及びそれに対する一つの解答としての野矢茂樹の「根元的規約主義」に主として依拠しつつ、法の解釈・適用のプロセスに新たな分析の照明をあてるもので、そこから導かれる論者の見解は基本的に野矢理論に基づいているが、議論の鋭利さや構成の巧みさに加え、こうした観点からの本格的な法哲学的検討はこれまでなかったことに鑑みて大きな意義をもっている。個別には、わが国の法解釈学論争を新たな観点から検討している点、解釈をめぐるドゥオーキンとフィッシュの間に論争にも関わらず共通する側面のあることを指摘している点、後期ヴィトゲンシュタインに依拠する法理論を批判的に検討している点、根元的規約主義に基づいた法理論の可能性、とくに法の解釈・適用を根本的に対論と説得のプロセスとして捉える分析的法理論の可能性を示唆している点など、重要な理論的成果といえる。
 候補論文には問題点もないわけではない。まず、結論部分において導き出された法の特徴づけはなお基本的なものにとどまっており、ここからどのような具体的法理論が整合的に帰結するかが大いに問われるだろう。また、「普遍信仰」や「不可視の基礎づけ主義」といった批判的概念により、リベラルな普遍主義に基づく法理論などに対して鋭利な批判を展開しているが、批判対象の適切な理解に基づいているかどうか、疑念が残る。とはいえ、これらは本論文の意義を損なうものではなく、今後さらに論争提起的な法理論への展開が望まれる。