2015年度学術大会(終了)
応報の行方

日 程:2015年11月7日(土)・8日(日)
場 所:沖縄県市町村自治会館(那覇市、沖縄国際大学担当)

訂正

統一テーマ報告のうち、松原芳博氏(早稲田大学)による報告のタイトルが「刑事実務における応報の観念」となっていましたが、正しくは刑罰の正当化根拠としての応報:刑法学の視点からでした。お詫びして訂正します(上にリンクされているPDFファイルは修正後のものに置き換えました)。(2015年10月7日)

統一テーマ「応報の行方」について

大会委員長 瀧川裕英(立教大学)

法哲学と刑法学の間

法哲学と刑法学の蜜月時代が、かつてはあった。人的な面でも、つまり一人の研究者が刑法学と法哲学を共に研究するという面でもそうであったし、物的な面でも、つまり特定の問題に対する関心を刑法学者と法哲学者が共有するという面でもそうであった。
だが、H・L・A・ハート以降、その蜜月時代は終わりを告げた。ハート自身は刑罰論に関心を持っていたが、内的視点、つまり法的ルールを使用する者の視点を重視するハート以降の法理論は、法的ルールに違反した者に対する関心を主題的には持たなかった。また、ロールズ以降の正義論の隆盛は、正義に適った状態の分析に焦点を当てたため、自由や平等に関する研究を進展させたが、不正行為と刑罰に対する関心を薄れさせた。
しかしながら、刑事法に関わる近時の動向は、一部の法哲学者の関心を惹きつけてきた。そこに含まれるのは、裁判員制度や被害者参加制度を初めとする刑事手続、アーキテクチャー論のような犯罪学や刑事政策、自動車事故関連立法を典型とする爆発する刑事立法、犯罪の早期化・重罰化といったテーマである。
こうした文脈を背景としつつ、本企画は、法哲学者は刑罰論に本格的に取り組むべき理由があることを示そうと試みる。特に、「応報の行方」を探究することを通じて、刑罰論・刑法論が依然として法哲学の重要な課題であることを再確認したい。

本企画の構成

こうした目的を達成するために、本企画では、法哲学者と刑法学者が共同作業を行う。
橋本祐子会員は、応報の内在的意義を示すために、応報を復讐と区別するという常套的手法ではなく、むしろ応報を復讐と関連づけるという手法を採用する。復讐は、克服すべき野蛮な因習ではない。応報と復讐の背景にあるのは正義感覚であり、正義を達成するがゆえに応報は正しい。このように理解された応報と刑罰の関係について、検討を加える。
米村幸太郎会員は、功績概念に依拠する応報の正当化論を検討する。功績概念は、ロールズ以降の現代正義論では重視されてこなかった。しかし、応報としての刑罰を正当化する論拠として、功績概念には可能性が残されているのではないか。このような見通しのもとに、犯罪を不公正利得として捉えて、刑罰を公正な取り扱いとして正当化する議論を検討する。
これに対して、安藤馨会員は、帰結主義に立脚して応報を解読する。帰結主義によれば、応報的実践が正当化されうるのは、応報的実践が帰結をよくするからである。逆に言えば、帰結主義からは、常識的な応報的直観に反する結論が正当化されうることになる。犯罪に応じて刑罰を科すべきか否かは、その帰結如何によって揺れ動くことになる。
松原芳博氏は、刑法学における議論の蓄積を元に、刑罰の正当化根拠としての応報を検討する。応報という必ずしも明確でない観念を、被害応報・秩序応報・責任応報の三つに分節化することで明瞭化して考察を加え、結論的には刑罰の正当化根拠は応報ではなく犯罪予防であると主張する。
岡上雅美氏は、こうした議論の前提条件に関わる問題を論じる。応報の観念は、一定の人間観に依拠している。だが、脳科学の発展は、応報の観念が前提とする人間観を掘り崩すように見える。自由意志問題は古典的な哲学的アポリアであるが、科学の発展を受けた現代的変奏がここに生じている。応報の観念が成立するために避けては通れないこのアポリアに対して、一定の見通しを与えようと試みる。
以上の報告に対する総括コメントを担当するのは、法哲学会における刑罰論の第一人者である森村進会員と刑法学会を代表する理論家である井田良氏である。

問題の基本構図

応報をめぐる問題群について、私が理解する限りでの問題の基本構図を、ここで簡潔に示し ておきたい。

帰結主義と義務論

応報の観念は毀誉褒貶半ばする。犯罪予防目的を持たない応報は前近代的で野蛮だとされる一方で、応報刑論のルネッサンスといわれるような応報の理論的再評価の動きがある。ではそもそも、なぜ応報なのか? なぜ犯罪に応じて処罰すべきなのか?
この問いに対して、二つの回答が対立する。帰結主義と義務論である。帰結主義は、犯罪に応じて処罰すべきなのは、そうすることで結果がよくなるからだと主張する。これに対して、義務論は、犯罪に応じて処罰すべきなのは、一定の義務原理に適合しているからだと主張する。 義務原理の候補としては、功績原理(各人を功績に基づいて扱うべし)・公平原理(各人を公平に扱うべし)・人格原理(各人を人格として扱うべし)などがある。
帰結主義と義務論を分けるのは、例えば、無辜者処罰の禁止である。帰結主義が無辜者処罰を禁止するのは、無辜者処罰を禁止することで結果がよくなるからである。したがって、無辜者を処罰することで、かえって結果がよくなるような状況では、例えば治安が劇的に改善するような状況では、無辜者を処罰することは許容される。
これに対して、義務論が無辜者処罰を禁止するのは、無辜者処罰が一定の義務原理に抵触するからである。例えば、無辜者をその功績に基づいて扱っていないために、無辜者処罰は禁止される。
帰結主義と義務論を分ける別の事例として、解体島の殺人犯処罰がある。カントは『人倫の形而上学』で、ある島の住民が全員の合意で解体することになろうと、その前に殺人犯を処刑すべきだと主張した。つまり、犯罪予防効果等が全くなく、結果がよくなるわけではないとしても、犯罪者は処罰されるべきである。帰結主義からは、カントの主張はナンセンスである。 義務論からは、殺人犯処罰は、義務原理に従った行為である。

功績原理と応報

応報を擁護する義務原理の有力な候補が、功績(desert)原理である。功績原理によれば、ある主体Sは、Sの行為や性質ゆえに、ある対象Oに値する。例えば、労働者は労働ゆえに報酬に値し、被告人は犯罪ゆえに刑罰に値する。功績に応じた取り扱いの根拠となる行為や性質(例えば、労働や犯罪)は、功績根拠と呼ばれる。
ロールズは、分配的正義において功績原理を否定した。ロールズの理解では、分配的正義において、各人の取り分は正義に適った制度によって規定されるのであり、各人の功績によって規定されるのではない。他方でロールズは、刑罰について功績原理を肯定するように見える。この非対称性をいかに理解すべきかをめぐって、議論が展開されてきた。
功績原理が妥当であるためには、功績根拠に対して責任があることが必要だと考えられることが多い。自らの犯罪行為に対して責任のない被告人を処罰することは不当だと考えられるからである。
しかし、リベットの有名な実験によれば、行為の前に意識的な意志が存在するが、さらにその前に無意識的な脳の活動が生じている。つまり、行為の意志が生じるのは、その行為に関わ る脳の活動の後にすぎない。SがSの犯罪に対して責任があるという発想が、この実験によって否定されるか否かをめぐって議論が行われている。

応報主義

応報主義は、義務のレベルの主張<犯罪に応じて処罰すべき>としてではなく、事態評価のレベルの主張<犯罪に応じて報いがあることはよい>としてなされることもある。前者を義務論的応報主義、後者を価値論的応報主義と呼ぶことができる。
義務論的応報主義と価値論的応報主義の違いは、例えば、殺人犯が雷に打たれて死亡したという事態をどう評価するかに関わる。義務論的応報主義は、処罰する義務が果たすことが不可能になるため、そのような事態を否定的に評価する傾向にある。価値論的応報主義は、そのような事態を肯定的に評価する。例えば、死刑囚が重病になったときに回復を目指して治療が行われるときには、価値論的応報主義ではなく義務論的応報主義が前提とされている。
価値論的応報主義は、応報は量化可能であるという発想につながりうる。価値論的応報主義と帰結主義が結合すると、より多くの応報を実現すべきであるという主張になる(但し、帰結主義が価値論的応報主義を採用する必然性はない)。そうすると、より多くの応報を実現するために、少数の非応報を行うことも許容されることになる(類例として権利功利主義を想起されたい)。例えば、無辜者を処罰することで、応報(=犯罪に応じた処罰)をより多く実現できるのであれば、無辜者を処罰することは許容されることになる。
これに対して、価値論的応報主義を否定し、応報は量化不可能であるとする立場からすると、より多くの応報を実現するために、少数の非応報を行うことは許容されない。この立場からは、より多数の応報を可能にするために少数の応報を犠牲にする司法取引も否定的に評価される。

11月7日(大会第1日)
[午前の部]
〈個別テーマ報告〉
  《A分科会》鈴木康文・清水潤
  《B分科会》劉武政・白川俊介
〈特別企画〉
    「沖縄で「法」を考える――琉球処分と法の多元性」
        (開催責任者・徳永賢治(沖縄国際大学))
[午後の部]
〈ワークショップ〉
  《Aワークショップ》
    「性暴力犯罪の法改革に向けて」
        (開催責任者・関良徳(信州大学))
  《Bワークショップ》
    「応報の彼方へ:修復的正義・修復的実践の挑戦」
        (開催責任者・宿谷晃弘(東京学芸大学))
  《Cワークショップ》
    「死刑は刑罰たりうるか」
        (開催責任者・青山治城(神田外語大学))
〈総会〉
[懇親会]

11月8日(大会第2日)
〈統一テーマ報告〉
瀧川裕英(立教大学)
  「統一テーマ「応報の行方」について」
橋本祐子(龍谷大学)
  「復讐と応報刑」
米村幸太郎(横浜国立大学)
  「「功績 desert」概念と応報」
安藤馨(神戸大学)
  「応報主義と帰結主義の相克」
松原芳博(早稲田大学)
  「刑罰の正当化根拠としての応報:刑法学の視点から」
岡上雅美(筑波大学)
  「脳科学の進展と応報主義の行方」
森村進(一橋大学)
  「総括コメント1」
井田良(慶應義塾大学)
  「総括コメント2」
シンポジウム「応報の行方」
  司会 瀧川裕英(立教大学)・関良徳(信州大学)

沖縄国際大学等の現地視察のご案内

  • 2015年11月9日(月) 9:00~16:00(予定)
  • 「沖縄で「法」を考える――現地視察」(仮題)

学会第1日目の特別企画「沖縄で「法」を考える」との関連企画です。学術大会は11月7日(土)・8日(日)に開催しますが、この現地視察は9日(月)に行います。
バスに乗車し、沖縄国際大学、米軍基地(外から眺めるだけ)、航空自衛隊等を視察します。ふるってご参加下さい。


聴講をご希望の方へ

学術大会は会員以外の方でも聴講していただけます。

事前の申し込みは必要なく、大会当日に会場受付にて申込みの上、聴講料1,000円(両日分)を納めていただきます。なお、学会開催案内(報告要旨集を含む)の配布は会員に限定されておりますので、当ホームページに掲載される報告要旨を、前もってご参照ください。

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